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- 戦争に伴う学童疎開の記録
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太平洋戦争の末期,大都市への空襲が激しくなる中,児童の生命を守るため,国民学校(現在の小学校)3年生以上の児童を農山村や地方都市に移動させる「学童集団疎開」が行われました。
京都市でも,昭和20年に入り始めての空襲(1月16日馬町空襲)を受けるなど,戦禍が拡大する中,同年3月から多くの学校で京都府内の市町村への学童集団疎開が行われることになりました。疎開先は地域ごとに京都府下の町村が指定され,宿舎には寺院や教会,旅館などが寮として提供されました。近くの国民学校(小学校)で授業を受け,放課後は畑を耕すなどの労働についていました。
なし