展示室

企画展

過去の企画展 期間 :平成27年7月4日(土)~10月6日(火)

戦争と学校-戦後70年をむかえて-

開催概要

戦時下の学校生活とは,
そして戦争は学校に何を残したのか


 今年は,第二次世界大戦の終戦から70年の節目をむかえます。開戦後,学校はしだいに戦時色が強まっていき,昭和19年から本格的な学徒勤労動員,昭和20年から学童集団疎開も始まり,終戦を迎えます。ただし「終戦」というのは,あくまで戦いが終わったということ。食糧不足,戦中戦後の学校再編,学童疎開・学徒勤労動員の経験,親の戦死など,戦争の影響や記憶は「戦後」も残り続けます。本展では,市内の小学校・中等教育の学校(今の中学・高校)を対象に,戦時下の学校生活がいかなるものであったのか,そして戦争が「戦後」の学校にどのような影響を与えたのかをふりかえります。


馬町空襲の絵日記(昭和20年,立誠国民学校)

会期 平成27年7月4日(土)~10月6日(火)
休館日 毎週水曜日(祝日の場合は翌平日)・12月28日~1月4日
開館時間 午前9時~午後5時(入館は閉館時間の30分前まで)
入場料 大人200円 小・中・高生100円
  (20人以上の団体は,大人160円 小・中・高生80円)
  ※上記の入館料で常設展示と企画展示をご覧いただけます。
★★市内の小・中学生は土・日曜日入館無料★★

★★その他の各種割引はこちら★★


ページの先頭へ

展示作品例

京都市の学校に遺されていたものや,新たに市民から寄贈されたものなど,
写真・史料等約141点を出品します。


なぎなた(昭和19年,生祥国民学校)



学童集団疎開 登校時
(昭和20年,淳風国民学校)


運動会の行進(昭和19年頃,開智国民学校)

先生の応召記念
(昭和18年頃,市立女子商業学校)


竹製水筒(昭和18年頃)

防空頭巾
(昭和18年頃,滋野国民学校)

教育ニ関スル勅語(謄本)
(戦前戦中期,待賢国民学校)



黒塗りが残る校舎(昭和21年,四条商業学校)



ページの先頭へ

広報物ダウンロード

リンクを右クリックして『対象をファイルに保存』を選択し,ダウンロードしてご覧ください。

チラシ表面(PDF:3.85mb)

チラシ裏面(PDF:2.33mb)

B3ポスター(PDF:4.79mb)

ページの先頭へ

各コーナーの解説

1.戦時下の学校 ―昭和18年まで―
 昭和12(1937)年7月に日中戦争が始まり,さらに昭和16年12月の対米英開戦によって,日本は第二次世界大戦へと突入していきます。その少し前の昭和16年4月,尋常小学校は国民学校初等科となりました。教育内容も大幅に変わり,軍国主義的な要素が増えました。
 国民学校では,将来の兵隊を育成するために退役軍人が指導する「軍事教練」が導入され,それは「内地」を守る女子も例外ではありませんでした。また,先生には戦地への召集令状が届き,応召は名誉あることとされました。当時のマスコミは,日本が連戦連勝だと伝えており,戦地での生々しい現実を伝えていませんでした。戦争が長引くにつれ,幼くして父親を亡くす子どもたちが増えていきました。その「遺児」たちは,戦死した父親が「英霊」として靖国神社に祭られたことから「靖国の子」とされ,教育の場において父の死を「名誉ある死」だと教えられました。

絵「オトウサンノニウヘイ」(出征を祝う)
(昭和17年,仁和国民学校)

2.総動員体制下の学校 ―昭和19年・20年―
 昭和17(1942)年6月のミッドウェー海戦で日本海軍が敗北して以降,戦局が急速に悪化しました。学校では先生の応召が始まり,昭和19年以降になると,運動会が戦争をモデルとしたものになるなど,戦時色がこれまで以上に強くなります。さらに,中等教育学校の生徒,次いで国民学校の児童が,食糧増産などのために学校行事として労働に従事することとなりました。
 昭和20年1月16日,東山のふもとの馬町に空襲があり,同年3月からは,児童の空襲回避と,農産物増産・健康増進のために,学童集団疎開が始まりました。しかし疎開先では,食糧の欠乏,親もとを離れた寂しさ,寮となったお寺から遠方の学校への通学など,過酷な生活が待っていました。
 第二次学童集団疎開が始まって一週間あまりがたった同年8月15日,終戦がラジオで伝えられます。しかし,学校に残された日誌などの史料からは,終戦後しばらくたっても現場でどのように対応してよいのかわからず苦慮していた様子がうかがえます。


運動会 女子 なぎなた
(昭和19年頃,開智国民学校)

3.占領下の学校
 戦争が終わったからといって,すぐに豊かな生活に戻るわけではありません。終戦後数年間の生活は,むしろ戦中よりも食糧不足・物資不足に悩まされ,教科書どころか紙すらも満足に使えない状況でした。学校には防空サイレンなど,戦争の遺物が残り続けます。
 終戦後の昭和20(1945)年10月には米軍を中心とした連合国軍の進駐が本格化,同時期に学童集団疎開の引揚げが始まります。教科書などの軍国主義的な箇所には墨が塗られ,校歌や教育内容は民主的なものに様変わりします。
 国民学校は昭和22年3月で終わりをむかえ,同年4月からは教育基本法と学校教育法に則った新しい小学校になりました。翌月には新制中学校,翌年4月には新制高等学校が誕生します。子どもたちが物資不足に悩まされず十分な教育を受けられ始めたのは,この昭和23年頃からでした。卒業文集など,当時の子どもたちが遺した記録をたどると,貧しい「今」だからこそ,明るい「将来」を見据えていることが伝わってきます。



習字「世界永遠平和」
(昭和21年,仁和国民学校)

ページの先頭へ

関連講演会
戦争は学校に何を残したのか-戦後70年をむかえて-

  昭和20(1945)年の終戦後,学校での教育内容や児童・生徒の活動には大きな変化がありました。また,制度面では特に中等教育のあり方が大幅に変わりました。この講演では,それらの変化をわかりやすくお話します。
日 時

平成27年8月8日(土)
平成27年8月15日(土)  両日とも定員に達したため募集終了しました。
  ※両日とも同じ内容です

午後2時~3時30分(受付は午後1時30分から)

講師

和崎 光太郎 (京都市学校歴史博物館学芸員)

定 員 60名
費 用 聴講無料(当日観覧券200円が必要,各種割引が適用できます)
場 所 学校歴史博物館
申 込

先着順,定員に達ししだい受付終了します
 ※両日とも定員に達したため募集終了しました。

以下により学校歴史博物館へお申込みください

●TEL:075-344-1305(午前9時~午後5時まで。水曜休館)

●FAX:075-344-1327

●はがき:〒600-8044京都市下京区御幸町通仏光寺下る橘町437

       京都市学校歴史博物館 宛

●電子メール:rekihaku-jigyou@edu.city.kyoto.jp


※イベント名,代表者氏名,連絡先電話番号,参加人数,申込方法に合わせて住所・FAX番号・メールアドレス を明記して下さい

※おかけ間違いのないようご注意ください

※はがき,FAX,Eメールへの受信確認の返信は行っておりませんのでご了承ください。

ダウン
ロード
チラシ(PDF:327kb)リンクを右クリックして『対象をファイルに保存』を選択し,
ダウンロードしてご覧ください。

これまでの企画展一覧へ

ページの先頭へ