展示室

企画展

過去の企画展 期間 : 平成22年10月1日(金)~12月6日(月)

「京都の美術教育」

 


 

明治の図画教育は,当初西洋の図画手本を引用して作られた教科書で行われました。この西洋の文化を取り入れると風潮に京都でも従っていましたが,伝統工芸の盛んな京都では毛筆画を教える必要があるという意見ははやくからありました。そのため我が国最初の毛筆画の教科書『小学校毛筆画帖』は,明治21年京都で出版されました。その後,臨画による毛筆画の指導を反省して京都市校長会は明治38年,臨画に偏らない,透写画,記憶画,看取画,構造画などを加味した範本『図画手本』を編纂しました。しかし,明治43年4月からは国定教科書に使われなければならなくなって,毛筆画と鉛筆画という区別をなくした『新定画帖』が中心となり,京都独自の教科書は作られなくなりました。 

 そして,反-臨画の試みと教育的図画構想の『新定画帖』の反省から,洋画家・山本鼎がはじめた大正期の自由画教育運動が広まりました。この教育では,写生とクレヨン使用という表現方法が目立っています。

 その後昭和16年「国民学校令」公布により,図画,手工は芸能科図画,芸能科工作となり,戦時色の濃い教科書が発行されました。

 戦後の美術教育は,1950年代を中心に形成されてきました。創造美育協会の創造主義,新しい絵の会の認識主義,造形教育センターの造形主義などが代表的な思潮で,現在の美術教育はこれらの教育内容を若干形を変えたり,色合いを薄めた形で続いているのです。

 このたびは,明治から現在までの美術教育を,教科書や生徒作品と共に紹介します。 さらに,京都市立学校が所蔵する美術工芸品の中から,こどもを描いた絵画や彫刻などを使った授業実践事例とそれらの作品を,また美術教育に携わった人々の作品を展示します。

 過去から現在までの先生方の美術教育への熱い想いを感じ,こどもたちの,そして国民の,表現と鑑賞に関わる意識の形成や人間形成を共に考えましょう。


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